姫野さん(姫野嘉兵衛)クリップ
かつて、ある欧州の厳格な孤児院で、
子供達は、子供達の自立心を尊重されながら、
厳しく教育されていたそうですが、

ある時現れた日本人スタッフが、
日本人のいつもの調子で、

「あら、なんとかちゃーん」的に笑いかけたり、

おどけた顔であやしたり、ベタベタ抱っこしたり、
手をつないだり、一緒に寝たりと、

ぼくらには、わり合いに馴染みのある接し方をし始めて、
孤児院内では、
他の欧州のスタッフから違和感をもたれ、
大顰蹙だったそうですが、

しかしながら、やがて、
いつまでも心を開かなかった子供や、
意欲がなかったり、
きわめて反抗的だった子供たちが、

「あら、なんとかちゃーん」の影響で、なのか、

みょうに明るく素直に振舞うようになり出すのを見て、

ついに欧州人スタッフたちも、
この日本人の目に余る、
べたべたとした接し方の中に、
もしかすると、何か、
生き物として無視出来ないエレメントが、
隠されているのかもしれないと思い始め、

彼の日本人スタッフの

「あら、なんとかちゃーん」的な接し方を、

おっかなビックリ取り入れ始めたとのことでございましてね、

この他人に対して、油断出来るまでの情愛でもって接するのが、いつのころからか、このユーラシア大陸の東の端に住み着いて生きてきた、ぼくら日本人の心情の中に自然と宿った、他国にはあまりない緊張感のない情愛なのだなと思うのであります。

他の生き物に対してとる、日本人の、
この、なんともゆるい愛情表現。

この、とてもじゃないが英雄は生まない、
なんとも甘やかしてしまう楽ちんな風土。

この心情的に呑気な風土と、
日本のという辺境の地に現れた、
気候温暖で清涼な水にあふれた風土との間に、
大きな関係性があるように思うのであります。
本当に創造性がある人は、自分達の考えを縛っている枠組み、自分達が捉われているものについて思いを馳せる。かごの中にいるという前提で話が進む。創造性が無い人はかごの中に自分がいる事に気付いていない。だからかごの外の話をする事を許さないし、そもそも発想できない。
現実問題として、容姿が平均以下の女の子はどういう心がけで日々過ごしているのでしょうか。

容姿が平均以下の女の子の生きる道を教えてください : 家族・友人・人間関係 : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

ブスの25ヶ条」を(こうならないようにという意味で)勧めるといいと思う。時期も、教え方も難しいけれど。

いやなことだけど多分、子供のうちは鬼ごっこをするのに鬼が要るように、いじめをするのにいじめられっ子が要るから、攻撃しやすい特徴を持った人は攻撃されることが多い。いじめの年齢を抜けた若い時期には、今度はごく少ない評価軸での競争意識が強まるから、やはり攻撃しやすい特徴を持った人は攻撃されることが多い。そして攻撃された人は「そういう役割」になりがちだと思う。一度それを飲み込んでしまうと、攻撃した時の反応が「反発」から「消沈」にかわるから、ますます攻撃しやすくなるんだ。

でも社会に出ると、そこでは「足が遅い、でも頭が回る」「考えが浅い、でも馬力がある」のような評価が当たり前で、攻撃しやすい特徴を持ってるぐらいで攻撃されることは少なくなる。評価軸も増えるし、評価する人の方もお互いの長所を活かしあって(露骨にいえば利用しあって)いくことを知っているからだ。むしろ、攻撃する方が白眼視されやすくなる。社会で共通に求められる特徴は、唯一「社会性」だから。それと特に容姿についても書いておくと、これは外観という評価軸の中のさらに小さな評価軸の一つに過ぎなくなる。付き合う相手が、多くの年代や地位の人にまたがっていって、年齢差もファッションの差(趣味の違い+センスの差+かけられる費用の差)なども大きくなってくるから、容姿なんてそのトータルで決まる外観の中のただの一要素だ。

ただ子供から若者の時代に攻撃されてくると、大人になった時にそれが「ブスの25ヶ条」(の20カ条目)までのような形で、傷跡になって残ることが多いような気がする。この25カ条に当てはまる人と話していると、話はネガティブな方向に、他者を攻撃する方向に転がりやすいので、長く一緒にいると辛くなってくる。そして容姿で攻撃されてきた人はそんな時に、容姿が避けられているのだと(なんといっても昔に総攻撃された経験があるのだから)考えてしまうのではないかと思う。不運(運の問題だ、はっきり言って)にも攻撃されて傷を負い、不運にも傷の場所に気付きにくい。でも、もう容姿なんか対して悪く働かない。傷跡が残っているならば、それの方がよほど悪く影響しやすいんだ。

私見だけど、多分そんなことなんじゃないかと思う。「容姿以外で自分が輝けるもの・ことを見つけるのが一番かと思いますが、それはどういう風に見つけましたか?」なんて言ってるけど、外観以外に容姿をカバーしてくれる「一目で伝わる長所」というのはない。目に見えないんだもの。だから、そんなもので容姿をカバーしろと教えるのは違うと思うし、そして人付き合いに容姿かそれに代わるものが必須だなんていうのもファンタジーだと思う。

きっとみんなほんのちょっとした個性の凸凹で引っ掛かって、その相手と並んでいるうちにお互いの間が滑らかになって、ぴったりとくっつくんだ。並んでいることを難しくするような、傷跡をいつまでも残さないこと、残っている間はそれをむやみと見せないこと、そういう「一緒にいるための努力の仕方」を教えてあげるのがいいんじゃないかと思う。

(via tsukamoto)

子供自身が困っているとは書かれていないのだが。””娘は顔や体型・体質が夫に似て、中肉中背、一重です。”” 夫に失望したのか。

(via jun69)

まぁ「容姿」のなかで「顔面の造形」が占める割合ってのがたいして大きくないってのが分かるのが大人になってからだもんな。社会的地位ウンヌンを除外したとしても、服装などの装飾やら表情やらキャラクターが「容姿」の大半だったり(この話をするときはナンバーワンホストや美形芸能人の個性的な造形を引き合いに出せばよい)。

(via otsune) (via 00a) 2008-11-04 (via yasaiitame) (via gkojax) (via tessar) (via ssbt) 2010-04-01 (via gkojay) (via oosawatechnica)

(via otsune) (via motomocomo)

思考は記憶です。
記憶は収集蓄積された反応ですから
思考がどんなに自身を自由だと想像しても
それはいつでも条件づけられています。

思考は機械的で、
それ自身の知識の中心に繋がれています。
思考の活動範囲は知識に依存します。

知識は、いつも過去の残滓であり、
過ぎ去った活動の残滓です。
思考は、自身を未来に投影できますが、
過去に繋げられています。
思考はそれ自身の牢獄を作り
その牢獄が未来的であろうと、
過去のものであろうと
飾り立てられたものであろうと、
質素なものであろうと
その中に住みます。

思考は決して静まりません。

それは、本性上、
休むことなく、
いつも右往左往しています。

思考装置は、騒々しくても、穏やかでも、
表面上でも、表面下でも、
絶えず活動しています。

それは、自身をすり減らすことができません。

思考は、それ自身を洗練させることができます。
それは、その彷徨をコントロールすることができます。
それは、それ自身の方向を取捨選択したり
環境に順応したりできます。


思考は、自身を超えることができません。

それは、
狭い領域や広い領域で機能するかもしれませんが
いつも記憶の範囲内でしょう。

記憶には限りがあります。
記憶は、心理的、内面的に
死ななければなりませんが
外面的にだけは機能しなければなりません。

内面的には死がなければなりませんが
外面的には、あらゆる挑戦と
反応に鋭敏でなくてはなりません。

思考の内面的な関与が行動を妨げます。

クリシュナムルティ (via pandarvision)

滋賀県を舞台にした『ちがうもん』(解説/辰濃和男)/文春文庫
『ちがうもん』(文春文庫・姫野カオルコ著)解説抄
                         辰濃和男
【辰濃和男】(たつの・かずお)
1930年東京生れ。東京商科大学(現・一ツ橋大学)卒。朝日新聞社入社。ニューヨーク特派員、社会部次長、編集医院、論説委員、編集局顧問を歴任し、「天声人語」を担当。九三年退社。現在はフリージャーナリスト。

《「記憶」という名の鉱脈》

『特急こだま東海道線を走る』というタイトルで、ハードカバー刊行のさい、深夜、残り少ないページを惜しみながら読み続けた記憶がある。
姫野カオルコは、自分のこころにうねうねと横たわっている「鉱 脈」を探しあてた、という思いもあった。それは「記憶」という名の鉱脈だ。
 
四、五歳のころの記憶が皆無にひとしい私からみれば、「二、三歳のときに住んでいた家の便所の戸のペンキの色や塗り方のムラや把手のかたちをはっきりおぼえています」という姫野の記憶力は、とても人間業とは思えない。

「記憶というのはやっかいなもので、たとえたのしい記憶であっても、あまりに明瞭だと、現在の自分の足元をすくわれます」ということばはだから、私にはよくわからない。そんなものかなと想像し、想像しながらやはり感嘆する。
 
ただ「鉱脈」を探しあてただけでは作品は生れない。内部のたくさんの格闘があって、鉱石は磨かれていったのだろう。どこまでが実際の記憶で、どこからが創作であるのか、そんなことを問うのがヤボなくらい、虚実は渾然一体となっている。

 眠る前のひととき、この本のお世話になる日々がかなり長く続いた。何回も繰り返して読みながら、天賦の才を実感した。
 
今夜は「米屋の赤川さん」が太い指でオモチャの特急こだまを動かす情景に出会いたいとか、今夜は福井の海辺の宿の少年に会いたいとか、今夜はじみさんの経営するレストランの「ありそうでいてなかなかめぐりあわない、どこかやぼったさのある家庭的な味のハンバーグ」にありつこうとか、そんなことを勝手に思って読み、読んでいるうちにやすらかな気持ちになって眠りについた。
 
姫野の記憶がそのままこちらの体験になってゆく錯覚を味わい、さらには、自分のなかの記憶の埋火(うずみび)が突然、赤々とした炭火になる感覚を味わうこともあった。
 
米屋の赤川さんも、海辺の少年も、じみさんの店も、たまらなくこころに響く。なつかしい。それは、六〇年代(昭和四十年代)がにおってくる細密描写のおかげである。細密描写を成り立たせるふしぎな記憶の断片、それをつなぎあわせる丹念な構築力のおかげである。
 
本書には五つの作品が収められている。
・哲子(哲っちゃん)
・佐紀(サーちゃん)
・高橋(タカちゃん)
・正親(おおぎ)
・まり子(まり子ちゃん)
 の五人がそれぞれの作品の主人公だ。みな滋賀県に故郷をもつ女性で、一九五八年(昭和三三年)ごろに生れている。いまは東京に独り暮し、働いている。
 
主人公たちはみな、六〇年代(昭和四十年代)に幼少期を過ごし、東京五輪、新幹線誕生以降の日本が繁栄への飛翔をはじめた時代の経験を共有している。本書は「あのころ」へさかのぼってゆく旅である。ここには、あのころを生き抜いた市井の人たちへの惜別の辞がある。少女の野性が鋭く感じとった世界がある。人の温暖さ(ぬくとさ)や清らかさへの共感があり、人を傷つけるものへの強い怒りがある。

 真夏の海辺で哲子は烏賊漁の船に乗せてもらい烏賊の墨を浴びる。夜明けの浜では宿のお兄ちゃん(少年)が叫んでいる。
「いやあっ、みあああっ」
 烏賊、見たあ、と叫んでいるのだ。
 なんでもない光景だが、ここの描写は心に残る。海の宿の「温暖とさ」を吸い取ろうとして、幼い哲子の記憶の海綿体は異常な吸引力を発揮している。
 
高柳さんのおじさん、おばさんもいい。佐紀は、事情があって預けられた高柳さんの家の「がさがさ」した感じが好きだった。「おばさんもおじさんが好きだったのだろう。彼らは動けば汗の出る男と女で、彼らの家には私の家にはない、だらしない温暖とさがあった」
 日本は、「だらしなさ」を次々にふるいおとし、そのために人びとを息苦しくさせてしまう歴史をたどってきた。
 
そして「特急こだま東海道線を走る」にでてくる赤川さんの存在感。まっとうに仕事をしているおっさんを寸描するとき、姫野の筆は躍る。ほとばしる、という感じになる。幼いまり子はいつも赤川さんが来るのをこころ待ちにしていた。一家が広い家に引っ越したあと、赤川さんはお祝いの米袋をもってきて玄関の前に立つ。

「自分の身長の半分以上もある大きな重たそうな米袋を、躯(からだ)の正面で抱きかかえ、丸い赤い顔をして、えへ、と笑っていた。クリームパンのような手が米袋をしっかり支えていた。チャイムも鳴らさず、そうして立っていたのだ」
 ただ立っているだけの玄関口の赤川さんを見て、まり子は泣く。四歳十カ月の幼女はそのときなぜ泣いたのか。
 高度成長という化け物が「温暖とさ」を奪いとり、壊していった時代の流れを作者は見つめる。

 本書にはカギになることばがたくさんある。むりに二つにしぼれば一つは「温暖とさ」であり、もうひとつは「清らかさ(純潔)」である。後者の代表例が第三話「みずうみのほとり」だ。二十五歳の女性、まきちゃんはうつし絵のシールが好きでせっせとシールをしている。小学三年生の主人公も、まきちゃんにシールをしてもらう。
「『この人、好き?』
 私の腕で、小首をかしげているちょうちん袖の女の子を、まきちゃんが指さして訊いた。私はだまったまま、ただ何度も何度も首を縦にふった。重たそうなレジスター機の、うす茶色の金属に午後の光が撥ね、まきちゃんは笑った」
 この本のなかでもっとも透明感のある、美しい情景だ。
 シールに夢中のまきちゃんの姿を見て、小学生の主人公が息をつまらせる。なぜか。結末で明かされる。

 温暖とさとか、清らかさとか、そういったものを書くのはそう易しいことではない。ともすれば文章が湿っぽくなってしまう。
 だが、この本のなかでの赤川さんにせよ、高柳さん夫妻にせよ、シールのまきちゃんにせよ、そこにいるのは等身大の人間だ。作者の記憶のなかの鉱脈はいまも熱く燃えているのだろうが、文章に刻まれる人間はむしろ、ごくあっさりと、乾いた筆で描かれている。だからこそ、実在感があるのだろう。

深夜、眠りにつく前にこの本をよく手にするのは、六〇年代(昭和四十年代)を生きていた人びとの情けの世界に触れたいという願望が私にあるからだろう。作者の記憶の鉱脈を触媒にして、自分もまた六〇年代、いやさらに昔の時代に戻りたい、人と人をつないでいる温暖とさや、よけいなものを持たない人の清らかさに出会いたい、そういう願いがあるからだろう。時代が捨て去りつつあるものにこそ大切にしたい宝物があるのだ、ということを作者はごくひかえめに描いている。

 この本の幼い主人公は、ときどき「ちがうもん」と異議申し立てをしている。ちがうもんと思う。が、四歳にもならぬ子は、ことばでは説明できない。「子どもはみな甘いものが好きとは限らない」といいたいところだが、ことばにならない。「派手なシャツを着て、黒ぶちの眼鏡をかけた男」がいればただただ恐ろしい。
 
長じてからの主人公も、異議のある暮らしのなかにいる。この、異議のある暮らしというのは姫野カオルコという作家のよりどころ、であるのかもしれない。姫野の分身達は、自分自身の好き嫌いに忠実に生きている。いさぎよういといったらいいのか。嫌いなものは嫌いといい、自分を曲げない。だれにも媚びず、自分の力で立っている。そういう自由な生き方をしている。
 
どのページを切り取っても、そこには姫野の姿があり、姫野の文章がある。
 まがいもののはやる世の中では、それは希有のことのように思える。